流産で死にかけた妻が無事に復活した話

前置き

普段、日記みたいな事を書くことはないんですが、
壮絶な日を過ごした記憶が割と鮮明に残っているので、忘れないように残しておこうかと思います。
※文章内に多少グロい表現が含まれております。
※妻には公開の許可を得ております。

この記事は基本的には自分のために書いていますが、3日前の私のように
「まさか妻が流産で死ぬことなんてないだろう」
と油断しているであろう方は、参考までに読んでもいいかもしれません。

事の始まりは年末から始まりました。

12/25 稽留流産宣告

妊娠9週の12/25。都内H病院に検診へ行った際に、おなかの中で赤ちゃんが死んでしまった稽留流産の宣告を受けました。
病院に行ったのは妻だけだったので、私はどのような話をしたのかを聞きました。

要点としては

  • 死んだ赤ちゃんを出してあげないといけない
  • 手術で出すこともできるけど、子宮を傷つけるリスクがある。自然に出てくる、いわゆる「自然流産」を待つこともできるし、そちらが主流だが判断はお任せする。
  • 次回検診日は1か月後の1/22

との事でした。

この話を聞いて思ったのは、もちろん悲しいという感情も非常に大きかったんですが「早めに手術したほうがいいんじゃないのか...?」という不安がありました。
googleで検索してみると「稽留流産を放置しておくのは母体に負担がかかるから危険」という記事をちょくちょく見かけるからです。

ただ、その時の私の判断基準は
「専門家(医者)の生の声 >=妻の判断>=医者が書いたネット上の記事 >> 掲示板での体験話 」
であり,
今後の方針を考える際の参考にはしましたが、妻と話し合った結果「自然流産を待つ」という事にしました。

~1/22 止まないつわり

流産と宣告された後も妻曰く

  • つわりは継続していた
  • 胸の張りもあり、母乳が作られる準備が進んでいるように見えた

との事でした。

以上のこともあり、妻は心の奥で「稽留流産は誤診だったんじゃないか」との希望を持っていたようです。

1/22 稽留流産宣告からの1か月後の検診

1ヵ月たっても自然流産することなく、妻は前回の予約通り1/22にH病院へ向かいました。
この日、聞いた話をまとめると。

  • おなかの調子は変わらず。稽留流産に間違いない。
  • 自然流産で出てくるまでに2ヵ月程かかることもよくある。現状出てきていないからって特に心配はいらない
  • 2ヵ月待つことによるリスクはない。
  • 自然流産を待ってもいいけど、心配なら手術をしてもいい
  • ただ、うちは手術の予約がしばらく先まで埋まってるし、手術をするなら腕がいい医者が多い池袋のI病院の方がいいかも
  • 次回検診日は1か月後の2/19

との事でした。

専門家の生の声を信用したいと思っていましたが、稽留流産のリスクについて流石にネットで書かれている事と乖離しすぎていたので
この時点で私はH病院に対して結構な不信感を持っており、「別の病院で手術をしたほうがいいんじゃないのか」と妻と相談しました。
ただ、妻も「先生がはまだ大丈夫と言っているし」と言っており、妻もまだ自然流産を待ちたいというスタンスでした。
結局「まだ自然流産を待ってみるか…」という方針がしばらく続きました。

2/3 他の病院へ連絡してみる

妻との話し合いが続き、この日やっと「他の病院にも相談してみよう」という方針になり、
H病院から以前紹介されたI病院への予約を行いました。

2/9 I病院への検診

初めてのI病院の検診です。この日も検診は妻だけが行きましたが、
聞いた話としては

  • 12/25時点では見えていた赤ちゃんのカゲが見当たらない
  • H病院の稽留流産が決まってから次の検診が1か月後は長い気がする
  • あなたのおなかの赤ちゃんが出てこないのはあなたがあきらめてないからですよ
  • また妊娠したいなら手術をするべき

との事で、H病院の方針とはうって変わって
「手術をしたほういい」
という方針の病院(医者?)でした。
私と妻はその時はもう「手術したほうがいいんじゃないか」という気持ちになっており、I病院が後押ししてくれたことも心強く
翌週の2/13に流産手術を行うことに決めました。これでやっと妻が楽になるんだと。

2/12 突然の流産

いつも通りの平日の夜、Lineで妻が「お腹が痛い、フルーツが乗ったプリンが食べたい」と言っていたので
駅を降りて家の近くのスーパーにプリンを買いに行っている途中でした。

21:30 妻からの着信

妻「娘を寝かしつけていたら出てきた、プリンは買わなくていいから帰ってきて」
との事でした。

急いで帰ったところ、居間では1才4ヵ月を過ぎた娘が一人で遊んでおり、妻は見当たりませんでした。
始めはトイレを確認しましたが、いなかったので洗面所へ向かいました。
すると浴室の電気がついていたので開けてみると、
床が一面中血で真っ赤に染まっており、床の血をシャワーで流し続ける妻が立っていました。

自分「おい大丈夫か」
妻「うん、大丈夫」
自分「これ救急車呼んだほうがよくないか」
妻「いや、大丈夫と思う」

と、おびただしい量の血ではあったんですが、自分の中ではまだ
「流産ってこのくらい血が出るのはよくあることなのか…?妻は大丈夫って言ってるけど...」
という疑問があり、「すぐに救急車を呼ばなきゃ!」という判断ができませんでした。

この後妻と会話をしながら、「流産 救急車」のワードでgoogle検索を行い、

自分「ほら、流産の出血で救急車で運ばれてる人ちょくちょくいるっぽいよ」
妻「ん~、でもこんなもんなんだと思う」

と、妻自身が流産ごときで救急車は呼ばなくていい。という考えを持っていたようでした。

この時、いつもは娘が寝ている時間でもあり、娘をずっと泣かせている状態だったため

自分「一旦娘寝かせてくるわ、やばくなったら教えてよ」
妻「わかった、やばくなったら壁ドンドンってする」

と会話を終えて、寝室に娘を寝かせに行きました。

9:53 119呼び出し

寝室で娘を寝かせているいると、浴室の方からからドンドンではなく、小さくガタンッと音がしました。
何かが倒れた音でした。

大丈夫かと気になって浴室を見に行ってみると、赤く染まった床の上で妻が仰向けで倒れこんでいました。

近づくと目が口が大きく開いており、まともじゃないという事は瞬時に理解できたので「おい!救急車呼ぶぞ!」と言うと、顔を小さく横に振りました。
この期に及んで呼びたくないってどういうことやと思いましたが、迷わず119に電話を掛けました。

居間で(おそらく眠たくて)大声で泣いている娘を残しベランダに出て、電話では「何があったか」「住所」そして「妻の名前」「妻の年齢」を順番に答えました。
居間に戻ったあと、泣いている娘が浴室の方に来ないようにベビーサークルの中へ入れました。

21:56 救急車の到着

電話をかけたあと、救急車が来るまでに時間はかからず、安心とまでは行きませんが非常に心強さを感じました。

妻のもとへ案内すると、救急隊の方は手早く妻を担架の上に運びました。
ふと妻の顔を見てみると今まで見たことないくらい顔が真っ白になっていました。
ただ、意識はあるようで救急隊のいろんな問いかけに対し、かすかに返答はできていました。

ドラマや映画で『寝むっちゃ駄目だ!!....ねむっちゃ.....ピーー(心電図の音)』というシーンを何度か見たことがあった私は
妻が眠らないように「おい!大丈夫か!」とちょくちょく声掛けをしていました。

すぐに病院へ行くかと思ったんですが、出血で酸素が足りてないとの事だったので、まだ救急車へは運ばずに酸素マスクを妻につけてあげていました。
妻が酸素マスクをつけている間、状況を聞かれたので

  • 12/25にH病院で慰留流産の宣告を受けたこと
  • 明日の12/13にI病院で流産手術を行う予定だったこと
  • 出血が始まったのは9:30からで、出血したのは今現在浴室に見えている血だけではなく、既に流れたものもあること

を伝えました。

救急隊から「かかりつけの病院は?」と聞かれたところ、妻が「H病院」と答えました。
しかし、H病院に不信感を持っていた私は「明日I病院で手術をする予定だったんですが、I病院の方には行けませんかね?」と伝えました。
救急隊の返事は「H病院のほうが近いのでH病院にしましょう」との事でした。
確かに、そんなことを言っている場合じゃないか。仕方がない。とすぐに納得しました。

数分経つと、救急隊の方が「酸素が体に100%行き届いてるのでさっきより楽になったでしょ」と妻に話しかけており、実際妻も意識は先ほどよりはっきりしているようでした。
この時点で自分は(あとは病院行けば出血も収まって何とかなるんやろうな)と漠然に考えていました。

22:20頃 救急車への乗り込み

救急隊の方に「救急車乗るから、嫁さんの着替えと保険証を持ってきて」と言われたので、急いで妻のタンスを漁って下着を取り、
上着はどれを持っていけばいいかわからなかったので私の暖かいパジャマを着せてあげようと袋に詰めていきました。
そして、今までずっと泣き続けていた娘を抱っこ紐で体に括り付け、袋を片手に家を出ました。

エレベーターでマンションの一階に行く途中、元気そうな救急隊の方と鉢合わせたので軽い気持ちで「まぁなんとか大丈夫ですよね~?」と聞いたんですが、
こちらを見ず、返答すらありませんでした。何とも言えませんでした。

そして、人生初めての救急車に妻と娘と3人で乗り込みました。
救急車の中ではずっと救急隊の方が妻に話しかけてくれていました。
救急隊「娘ちゃんの名前はどう書くんですか?へぇ~、いい名前ですねぇ~」
と口数は少ないながらも世間話ができている妻に安堵して、私は(娘は何時に寝かせられるかなぁ)と娘の心配をし始めていました。

22:50頃 病院到着

病院到着後、救急隊の方に「旦那さんは入口の方から入って受け入れの受付してきてくれますか」と言われたので受付に向かいます。

こんな時間だっていうのに受付のソファに患者らしき方が3組ほどいました。

受付の回転も悪く、受付に5分ほど時間がかかり、n階の産婦人科外来へ向かってください。と言われました。

急いで向かうと、ちょうど担架に運ばれた妻が診察室に入るところでした。

23:00頃 診察開始

産婦人科の診察室に入り、担架から降ろされた妻は椅子に座りました。

その時点で診察室にいたのは男性の医者の方が一人、女性の看護師の方が2人、そして家からついてきてくれた救急隊の方3人の計6人でした。
その時、私は診察室の外側のソファに座っており、椅子に座る妻の背中を見ている状態でした。

23:01頃 失神

椅子に座って妻が医者の方の質問に答えているとき、
誰も触れていない妻の頭が背中の方にゆっくりと上がっていくのが見えました。
「妻さん?妻さーん!?」と救急隊の方が妻に声をかけてくれていますが、妻の頭はだらーんとしており、失神したんだと気づきました。

診察室の中の空気が一気に変わり、医者が少し焦り始めたのがわかりました。
座っていた妻は再度横になり、酸素マスクを着けます。看護師が診察室から出て走っていくのも何回か見ました。

これまで「何とかなるやろ」と漠然に思っていましたが、「もしかして死ぬんじゃないか」という可能性が少し湧きあがりました。
私は部屋の外から横になった妻に「おーい!大丈夫かー!」と何度か呼び掛けていました。

23:05頃 医者の増援

応援を呼んでくれたのか、追加で医者の方が一人、看護師の方が二人、
そして心電図を測りそうな感じの機械が運ばれてきました。

そのころには酸素マスクをつけた妻は意識が戻っており、呼びかけも落ち着いていました。

応援で来た医者に対し、元々居た医者が状況を説明しており、人数も増えて診察室がざわざわして来たところで
救急隊の方が診察室から出てきて、「大丈夫ですよ、先ほどは血圧が70付近でしたが、今は90付近で落ち着いています」と教えてくれました。

普段から健康をあまり気にせず、血圧の正常値がよくわからない私は「よくわからんが大丈夫なんだな」と安心しました。

ただ、間もなく「すいませんちょっと胸を開けて診察しますので~」と看護師が一言発して診察室の扉をスーッと閉めました。

妻の容体が良くなってきた事は分かったが、扉を閉められた状況をよく理解できなかった私は診察室の外のソファでただ座って待ちました。

扉が閉まって3分くらい経つと、救急隊の方たちが「私たちはこれで引き揚げますので、お大事に」と帰って行きました。
「ありがとうございます!」と心から感謝を伝えましたが、若くて元気で、先ほどまで頼りにしていた男性の方が一気にいなくなったので少しだけ心細くなりました。

23:15頃 再度診察室の中へ

先ほど応援に来た医者が部屋を出ていきました。

心配になりノックをして「妻は大丈夫ですかー?」と扉を少し開けると、看護師の方が笑顔で「大丈夫ですよ~意識もあります~」と返してくれました。
「もう開けても大丈夫ですかー?」と聞くと「すいません、もう少しだけお待ちください~。すぐにお呼びしますので~」との事でした。

2分後くらいに呼ばれたのですぐに診察室へ入ると妻がベッドで上を向いて横に寝ていました。
目も開いていたので「お~!大丈夫そうやなぁ!」と元気な感じで呼びかけました。

妻はすぐに「すまんなぁ」と言いましたが、何に謝ったのかは理解せずに「よかよか」と返しました。

その直後、医者から

  • これから子宮内を確認するための検診を行う
  • 検診で特に問題がなかったら、検診後はそのまま帰宅してもらって大丈夫
  • でも1割くらいの確立で手術をしないといけないかも。その時は入院になる
  • もし手術になったら麻酔の用意や諸々はこちらで考える

という話を聞きました。

(問題がなかったら帰宅しても大丈夫?、結構血出たけど普通に帰っていいのか....?)という思いがありましたが、それよりも先に手術のことが気になりました。

「どのような場合に手術が必要になるんですか?」と聞くと
子宮から色々と出てきておらず、残ってしまっていると手術で取り除かないといけない
との事でした。

そしてすぐに検診を始めるとの事だったので一度診察室を出ました。

23:25頃 検診中

検診にどれだけ時間がかかるかわからなかったので、自販機に水を買いに行きました。
この時は(1割か…てことはそうそう運が悪くない限りは後は安静にするだけなんやな)という考えで、
手術が必要じゃない事を願うばかりでした。

23:30頃 検診終了

検診が終わり、医者から告げられたのは「手術が必要そうです」との事でした。

正直、1割を引いてしまった事への驚きは少なく(やっぱりか)という気持ちがありました。

仕方ないとはいえ、この不運が重なってしまった現状から心に余裕がなくなり始め、このあたりから病院と医者に対してイライラし始めていました

手術はどのくらいかかるんですか?いつ頃から始まりますか?との私の問いに対し、
「いつ頃かは準備出来次第だが、手術自体は10~15分くらいで終わります」との事でした。

23:40頃 産婦人科病棟へ移動

看護師さんから「産婦人科病棟へ移動しますので旦那さん一緒についてきてください」と声をかけられました。

いきなり手術室へ行くもんだと思ってましたが、手術の準備が始まるまで病棟で休んでおくとの事でした。

妻が担架に移った後、ベッドの白いシーツには半径7~8センチほどの血の跡が残っていました。

担架で運ばれる妻に「おい、大丈夫か?」と聞くと「寒い」と一言返ってきたので、病棟に行く途中まで
妻の足を手で温めながら病棟へ向かいました。
妻の足は凍ったペットボトルをタオルで包んだ感じの冷たさでした。

23:45頃 病室

病室につくなり、妻はベッドに寝かされました。

病室のベッドには布団が2枚ありましたが、現状の妻には足りなそうだと感じたので
「妻が寒いと言っているんですがもっと布団ありませんか?」と聞くと「ベッドを温めているので大丈夫ですよ~」との事でした。

確かに敷布団が十分に温められている事が確認できたので、それ以上は言いませんでした。

23:47頃 同意書にサイン

看護師の方が数枚の紙を持ってきて「これから手術を始めるので同意書に記入をお願いします」との事でした。
同意書は4種類ほどあり、「手術同意書」「輸血同意書」「麻酔同意書」、あと「血液製剤の使用同意書」がありました。

普段、私は契約書や同意書にサインを書く場合、読み合わせを行い、わからない部分に対しては質問を行うように気を付けていますが、
この時は『疲れ』と『早く手術を始めてくれ』の考えのもと、内容はよく見ずに、殴り書きで自分の名前と妻の名前を記入しました。

23:50頃 採血

同意書を書いている途中、看護師の方が妻に採血のための注射をしていました。

元々妻は血管が見えにくい上に、さらに現状は出血が多く血液も少なくなっている状況。
看護師の方が採血のために腕に2回程注射をしましたが失敗。さらに手の甲にも打ちましたが失敗。
最終的に足の甲への注射で成功していました。

24:00頃 キッズスペースへ移動

もうすぐ手術が始まるとの事だったので、産婦人科病棟のフロント近くにあるキッズスペースの机へ案内されました。

電気が付いていましたが、娘がウトウトしていたので電気を消して寝かせることにしました。

私も目を閉じて休み、死角となっているフロントから聞こえる声を聞きながらユラユラと揺れていたんですが、
フロントからは「〇〇同意書も書いてもらったんですか?時間稼ぎ??」と、問い詰めたいような内容の会話が聞こえてきました。

娘も寝始めていたし、問い詰める気力もなかった私は近くの看護師の方を呼んで「いつ頃手術始まるんですか?」と聞きました。
すると「間もなく始まりますよ~」との事だったので、何も言わず手術の時間を待っていました。

24:10頃 手術室へ

医者がこちらへきて、手術を始めるということを聞きました。

病室へ行き、容体が変わっていなさそうな妻を見たあと、病室から手術室へ向かうのを見届けました。

看護師の方から「手術室直前まで行かなくてもいいですか?」と聞かれましたが、後で普通に会えるやろと思っていたので
手術室直前までの送り迎えは行わず、娘の寝かしつけに戻りました。

25:25頃 手術無事終了

娘を寝かしつけながら、自分自身も眠っていた私は医者からの

「手術が無事終わりましたよ」

の声で目覚めました。
私と一緒に娘も目覚めましたが、泣くことはなくぼーっとしていました。
目覚めると医者が瓶に入った赤いものを見せてくれて、
「子宮内に残っていた胎盤を摘出できました」
との事でした。

詳細を聞くと

  • お腹の中の赤ちゃんが死んだあと、胎盤だけが発達していて子宮とくっ付いていた
  • 断定できないが、中途半端に剥がれていた胎盤のせいで大量に出血していたのかも
  • 病院に着いてから、おそらく1000ml程出血している
  • 救急隊から聞いた浴室で出血していた分を合わせると1500~2000ml出血していそうなので輸血を4本行うかも
  • 1本の輸血は200mlほど
  • 今考えると、もっと早めに手術をしておいたほうが良かったかも。

との事でした。

(手術しなくても心配いらないって言ったのはこの病院の医者だろが!)
とブチ切れそうになりましたが、まだ完全には手術は終わっていない様子で、
ここで医者を動揺させて残りの作業で失敗してもらっても困るので、自分を抑えていました。

現状の連絡を私に伝えた後、また医者の方は手術室へ戻っていきました。

その後、2000mlの出血という言葉にピンと来てなかった私は「出血 致死量」のワードでgoogle検索を掛けました。

出血量と生命|家庭の医学|時事メディカル
「全血液量の約20%(体重50kgの人で800mL)以上が短時間で失われると出血性ショックとなり、さらに30%(1200mL)以上の出血で生命の危険があるといわれます。」

出血 - Wikipedia
標準体重の成人の概算では血液総量の1/2 、およそ1.5リットル以上を出血で失えば失血死を起こすとされている。

体重55kgの妻にとって普通に致死量でした

この時本当に妻が死にかけていたことに気付き、ゾッとしました。倒れそうでした。

25:45頃 再会

「妻が病室に戻りましたよ」との連絡を受け、病室へ向かいました。
病室では妻が手術に行く前と変わりない感じで寝ており、普通に会話もできました
後遺症も特にないようです。

医者の方が言うには「今とても容体が安定しているからもしかしたら輸血しなくてもいいかも」との事でした。
輸血どうのこうのより、「無事手術が終わって容体が安定している」という事に非常に安心し、どっと疲れが来ました。

「ここで泊まっていきますか?」と看護師の方に聞かれましたが、妻は一旦ひと安心だという事と、いつもは9時に寝ている娘が26時まで起きてしまっている事。

あと、(血だらけの風呂掃除しなきゃ…)という思いがあり、一旦家に帰ることにしました。
部屋を出るとき「翌日は14時から面会できるので、その時に歯ブラシとかコップとか持ってきてあげて」と看護師の方から告げられました。

26:30 帰宅

タクシーで家に帰った頃には娘の目はぱっちりと開いていました。
帰ってすぐに水を飲ませ、オムツを変えた後、10分ほど寝かしつけを頑張りましたが、全然寝そうな気配がなかったので
娘をベビーサークルに入れて血みどろの風呂掃除を行いました。

事件発生時から5時間ほどたっており、血は固まっていたように見えましたが、水をかけてブラシで軽くこするとスルスルっと流れていき、
掃除に予想していたほどの時間はかかりませんでした。

27:00 寝かしつけ、就寝

時計は深夜3時を回っており、再度娘の寝かしつけにチャレンジしましたが、この時はすぐに寝てくれました。
私も寝るのに時間はかかりませんでした。

2/13

9:00頃 朝食

朝、妻からLineが来ていました。

  • 血液が薄いので今日中に輸血を2本打つ
  • あと1日入院しないといけないらしい
  • 貧血の影響で、起き上がるだけで脈が130まで上がる
  • 着替えが入っていた袋にパンツとブラを入れたつもりがブラが2つ入っていたのでパンツを持ってきて欲しい

との事でした。

返信した後、本来は今日手術を行うはずだったI病院に、手術キャンセルの連絡を入れました。

14:00 面会

H病院へ向かい、昨日と同じ病室に入ると妻は2本目の輸血を行っている最中でした。
昨日よりも顔色はよく赤みがあり、その事が嬉しかったので「お~顔色よかなぁ」って4,5回程言いました。

まだ貧血で起き上がれませんが、いつも通りに話せている妻を見て(本当にもう大丈夫なんやなぁと)確信しました
この日は、16時頃まで話をした後、帰路につきました。

2/14

12:00 退院

退院の日、H病院へ向かい妻の顔を見てみると、昨日よりもさらに顔に赤みがあり、顔色は良くなっていました
ただ、まだ貧血気味で、2/12の夜から寝たきりだった妻は歩くのも大変そうでした。

病室で荷物を整え、後は病院を出るだけでしたが、
私は『対応が遅れたことによって妻が死にかけた事』について病院に意見を言いたかったので
フロントで「担当医の方にお話を聞きたい」とだけ伝えたところ、
「担当医の方が今日は不在なので外科の責任医師の方でいいですか」との事でした。
※ここの単語はよく聞いていなかったんですが、確か『責任医師』と言っていたような気がします。

私は病院としての意見を聞きたかったので、「大丈夫です」と答えました。


数分後、男性の責任医師の方が女性看護師と病室に入って来ました。
今回起きた事に対する私の言い分としては

  • 「何故このような事が起こったのか」
  • 「事前にこのようなリスクがあるってわかってたら迷わずに手術を受けていた」
  • 「この病院ではそのようなリスクの判断はできないのか」

ということに対し、医師の方は

  • 「手術を行った先生は『胎盤が子宮とくっ付いていたから大量出血した』という判断をしたが、正確にはわからない」
  • 稽留流産に対する病院のスタンスとしては伝えている通り、流産手術で子宮を傷つけてしまう恐れもあるので、この病院ではどちらかというと自然流産を基本的に進めている」
  • 「欧米では基本的に自然流産が主流となっている」
  • 産婦人科のガンドラインが公開されているが、そこでも自然流産のリスクと流産手術を行うリスクは大きく変わらないとちゃんと記載している」
  • 「そもそも江戸時代には流産手術なんてなかったし、それで日本人は人口を増やしてきた」

と伝えてきましたが、私は

「江戸時代の話に関しては、その時と死亡率が全然違うでしょ、それで自然流産を放っておいても大丈夫だとは一概には言えない」と反論もしました。

ただ、その後
「今まで稽留流産は20年間以上何度も、それこそ診断後8週や9週過ぎた患者をたくさん見てきたが、今回ほど出血したケースは初めて」とも言ってきたので

  • (話を聞く限りだとおそらく)うちの妻は本当にレアケースだったこと
  • 確かに医者とはいえ「経験にない事を想定して動いてくれ」は求め過ぎなのか...??と多少感じたこと
  • 何より、妻が今、何事もなく無事であること。

を考え、これ以上医者(病院)を責めることは止めて、その後はタクシーで家に帰りました。

その後&まとめ

  • 流産は運が悪ければ死ぬという事を事を思い知らされました
  • 今までの私の人生の中でトップに上がる濃い数日でした。
  • 2/14の夜は2/12の夜に食べる予定だったプリンを買って美味しく食べました。
  • 妻はまだ貧血気味なので、2/15まで会社にはお休みの申請を出しました。同僚はみんな「家族を優先してください」との事でした。いい仲間達です。
  • 現状、妻の容体としては回復に向かっています。後遺症がありそうな気配も全くないです。ただ、輸血によるの肝炎とかのリスクもまだ残っているので、数か月後に確認しようと思ってます。
  • 流産の手術に関しては、病院それぞれのスタンスがあるようです。今はH病院が悪いとは一概に思いませんが、今後(考えたくないですが)同じように繋留流産になったとしてもH病院に行くことはおそらくないでしょう。

CakePHP + MySQL の構成でサーバ構築

ためになった記事
http://webkaru.net/linux/apache-mysql-php-install/

http://qiita.com/sampleb3/items/d274bc1cecda8ef62c28

※いくつか詰まったところ

grant all on cake.* to cake;
mysqlのcakeユーザに権限を割り当てるところがあるが、
grant all on cake.* to cake identified by 'password'
の様にパスワードまで設定しないとphpからmysqlに接続出来なかった。

あと、my.cnfのパラメータ名がバージョンによって違うらしく
システムデータベースの作成に失敗した。
対応方法は別記事で書いた↓
MySqlでシステムデータベース作成に失敗した場合 - mitchydeathのブログ

MySqlでシステムデータベース作成に失敗した場合

MySqlは/etc/my.cnfをもとにシステムデータベースを作成する。

どうやらMySQL5.5から記述方法がかわっているパラメータがあるらしく(下に記述)、
古い記事を読みながら構築をするとシステムデータベースの作成に失敗する。

挙動としてはmysqldが起動できず、/var/log/mysqlには以下のログが出力される。

[ERROR] Fatal error: Can't open and lock privilege tables: Table 'mysql.host' doesn't exist

■対応
/etc/my.cnfを正しく書き換えて、以下のコマンドを実行する

mysql_install_db

これで/var/lib/mysql配下にシステムデータベースが作成される。

ただ、このままではシステムデータベースファイルのパーミッションがrootになっているので、
以下のコマンドでパーミッションを変更してあげる

chown -R mysql:mysql mysql
chmod 751 mysql

※問題を起こしていたパラメータ

5.4以前 default-character-set=utf8
5.5以降 character-set-server=utf8

AWSのEC2サーバでRootのパスワードを変更する

EC2のサーバには初回だとrootのパスワードがわからない(設定されていない)ため、ec2-userでしかログインできない。

以下のコマンドでrootのパスワードを設定することにより、rootでログインが可能になる。

sudo passwd

※以上のコマンドを使用しなくても

sudo [コマンド]

でroot権限でコマンドを実行できる。
(毎回sudoをつけるのは面倒くさいけど。。。忘れてコマンド打っちゃうと変なパーミッションのファイル出来たりするし。。。)

イテレーターの挙動

void Main()
{
	foreach (var element in FromTo(10,20))
	{
		Console.WriteLine("element:" + element);
	}
}

static public IEnumerable<int> FromTo(int from,int to)
{
	Console.WriteLine("FromToStart");
	while (from <= to)
	{
		Console.WriteLine("From:{0}, To:{1}",from,to);
	 	yield return from++;
	}
}


出力結果

FromToStart
From:10, To:20
element:10
From:11, To:20
element:11
From:12, To:20
element:12
From:13, To:20
element:13
From:14, To:20
element:14
From:15, To:20
element:15
From:16, To:20
element:16
From:17, To:20
element:17
From:18, To:20
element:18
From:19, To:20
element:19
From:20, To:20
element:20



次にFromToメソッドをこんな感じに変えると

static public IEnumerable<int> FromTo(int from,int to)
{
	Console.WriteLine("FromToStart");
	while (from <= to)
	{
		Console.WriteLine("From:{0}, To:{1}",from,to);
		
		if(from >= 15)
			yield break;
		
		yield return from++;
	}
}

出力結果はこうなる。
ポイントはbreakでforeachを抜けているので、Console.Write("element~)は実行されていない

FromToStart
From:10, To:20
element:12
From:12, To:21
element:14
From:14, To:22
element:16
From:16, To:23
element:18
From:18, To:24